記されている事実ではこのままでは終末の時に滅ぶ。
24:20あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。
24:21その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
24:22もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。
マタイ福音書の言葉である。
私が、その意味を語りだしたのが2011年、震災が起きて、その意味を語ろうと思ったことである。
だがこのころは、雄牛の方をサタンと言っていた事実がある。
私の大いなる認識間違い。
このころに一人の者が言ってコメントがある。
そのコメント記載…
こんばんは
サタンは憎むべきものなんですかね
憐れむことはあれども、憎んではサタンと同じかも知れません。
サタンは元は天使です。
サタンは自分の中にもあります。
仏教で言えばダイバダッタを憎むか?受け入れるか?
と云うことではないでしょうか。
それに対する当時の私のコメント。
最初は、旧約聖書の悪魔のイメージもありました。
実際に、姿をあらわしてから、預言と病気の予告を伝えました。
確かに、それ以外は危害は加えておりません。
新約聖書には、全くイメージが違うサタンがいます。
この真相がはっきりするのは、これからの展開かもしれません。
そしてこういっています
しかし、ファティマの預言も考えると、憎むべきはサタンでしょう。
マリア様は、偽りを言わないと思います。
そしてそれに対する返答の言葉。
正も邪もない。
例えば、マリア様が正と言うモノをサタンは邪と言う。
サタンが正と言うものをマリア様は邪と言う。
実はどっちにも正邪はないのだと思います。
なかなか理解し難いですが。
今になればその意味がよく理解できます。
その返答。
送られた御使いは、中途半端な姿勢は通用しないのです。
迷いがあれば、翻弄されます。
これに対するもう一人のコメント。
(今考えると意味があると思います)
明確なるを好まないのは、対外的には好いでしょう。
私は、高慢で強欲で頑なだから、基本私は正しい、少なくとも、それは私には正しい。そういうスタンスですが、優柔不断を是とする人には嫌われ説諭されます。
ブレるのが、善や義とは思えません。神は人や周囲の目を気にしてブレるでしょうか?人間の私でさえ、確固たる基軸を是とするのですから。
※この当時は、その意味を何も知らず。
2013年からそのすべてを垣間見て、私の正体を最終的に知ることになるのですが、その信念が何であるかを神の言葉で悟れば、
記されている神の実際の降るこの世の実像。
その意味を語る故、そうなるのが当然ですがとても貧しい状況にあります。
箴言第30章。
30:7わたしは二つのことをあなたに求めます、
わたしの死なないうちに、これをかなえてください。
30:8うそ、偽りをわたしから遠ざけ、
貧しくもなく、また富みもせず、
ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。
30:9飽き足りて、あなたを知らないといい、
「主とはだれか」と言うことのないため、
また貧しくて盗みをし、
わたしの神の名を汚すことのないためです。
状況はその言葉を語るがゆえに、運命的に無職です。
長い間です。
そんなことよりも、それの運命を受け入れたのには訳があります。
31:9彼らは泣き悲しんで帰ってくる。
わたしは慰めながら彼らを導き帰る。
彼らがつまずかないように、まっすぐな道により、
水の流れのそばを通らせる。
それは、わたしがイスラエルの父であり、
エフライムはわたしの長子だからである。
31:10万国の民よ、あなたがたは主の言葉を聞き、
これを遠い、海沿いの地に示して言いなさい、
『イスラエルを散らした者がこれを集められる。
牧者がその群れを守るようにこれを守られる』と。
31:11すなわち主はヤコブをあがない、
彼らよりも強い者の手から彼を救いだされた。
そしてこうあります。
31:16主はこう仰せられる、
「あなたは泣く声をとどめ、
目から涙をながすことをやめよ。
あなたのわざに報いがある。
彼らは敵の地から帰ってくると主は言われる。
31:17あなたの将来には希望があり、
あなたの子供たちは自分の国に帰ってくると
主は言われる。
※真剣勝負なのです。
31:36主は言われる、
「もしこの定めがわたしの前ですたれてしまうなら、
イスラエルの子孫もすたって、
永久にわたしの前で民であることはできない」。
31:37主はこう言われる、
「もし上の天を量ることができ、
下の地の基を探ることができるなら、
そのとき、わたしはイスラエルのすべての子孫を
そのもろもろの行いのために捨て去ると
主は言われる」。
※はっきり断言しますが、今の世の中の人々のやっていることは何ですか。
見るからに神から離れて、悪行三昧、それでもヘブル人の手紙には不義を神が哀れむとあります。
滅ぼされることを好みますか、人は滅ぼされるためにこの世に作られたのではありません。