シラ書第15章、主の教え(解読文章抜粋)
シ ラ15:1 主を畏れる人は、これを行う。 律法に精通している者は、知恵を悟る。
(このまま)
※その意味を知り得たとしても、主を畏れている。
そして、記された神の律法を守ることが宿命と悟る。
シ ラ15:2 知恵は、母のように彼を出迎え、 新妻のように彼を迎え入れる。
(このまま)
※当初は何も知らぬ状況であったが、その記された知恵の言葉を学び、己に示された 意味の一つ一つを知り得て行く。
シ ラ15:3 英知のパンを食べ物として彼に与え、 知恵の水を飲み物として、彼に与 える。
(このまま)
※雄牛の聖霊に出会い、心臓の病になる暗示と、その境遇に耐えられるかという言葉 の意味が知りたくなり、旧約聖書に記された意味をたどる。
シラ15:4 彼は、知恵に支えられて揺らぐことなく、 知恵に身を任せて、恥をかくこ とはない。
(このまま)
※その神の真意を知り得ると、その大変だった境遇なる苦しみは、神の与えた試練だ と知り得た。
そして、その知恵の言葉に支えられると、すべてを悟るので揺らぐことなく、
恥をかくこともなくなった。
シラ15:5 知恵は、周りの者たちよりも彼を優れた者とし、 集会で語るとき、適切な 言葉を与えてくれる。
(このまま)
※その最終的な集いの時に、わたしはその意味を理解され、そのときには適切な言葉 が生まれるようになる。
シラ15:6 彼は楽しみを味わい、喜びの冠を受け、 その名声はいつまでも続く。
(このまま)
※その苦しかった状況は一変して、その喜びの冠を神から受け、その名声はいつまで も続く。
大事なことは高ぶることなく、威張ることなく。
謙虚な言葉使いと、そのうちにある素直な言葉で伝えたいと思う。
シラ15:7 愚かな者は、決して知恵を悟らず、 罪深い者は、知恵をかいま見ることす らない。
(このまま)
※※要するに、その意味は記されているのだが、何のことか意味を知らないからその 時には助かることはない
シラ15:8 知恵は、高慢な者から離れており、 偽りを言う者の心には決して思い浮か ばない。
(このまま)
※やはり、如何に苦しくとも、その真意を述べる正直さが大切であるとわたしは感じ る。
シラ15:9 賛美の歌は、罪人の口にそぐわない。 主に促されて歌うのではないから。
(このまま)
※賛美の歌は、真に神に感謝する心から生まれる。
主に促されるよりは、自ら神を崇め、その存在に意味を歌にしてきた。
シラ15:10 賛美は知恵をもってささげられ、 主御自身がこれを正しく導かれる。
(このまま)
※その賛美の意味も、その知恵の言葉から生まれ、世の中に浸透してゆく。
主御自身がこれを正しく導かれるのだから。
シ ラ15:11 「わたしが罪を犯したのは主のせいだ」と言うな。 主が、御自分の嫌う ことをなさるはずがない。
(このまま)
※主の聖霊との出会いがあった時から、その意味を悟ろうとするまでは、罪を犯して きた。
主の御顔に泥を塗るような行いをして、神の怒りを受けた。
それはむさぼりの罪であり、愚かな自分がいたのである。
しかし、その意味を悟ると恥いる部分さえ感じる。
これが驚愕の言葉だった「主が、御自分の嫌うことをなさるはずがない。」
トマスの福音書にある第2章の意味である。
見出すときに、彼は当惑するであろう。当惑してさらに彼は驚くであろう。
正直言えば、何にも知らずに15歳の時から33年間を生きてきた。
その最終的な意味に、そのメスを入れたのは2013年の夏ごろだった。
シ ラ15:12 「主がわたしを迷わせたのだ」と言うな。 主は、罪人には用がないのだ から。
(このまま)
※迷ったのはすべて私の愚かなる心が作り上げたもの。
悔悟とは心から悔いて、反省する意味である。
シラ15:13 主は、忌まわしいことをすべて憎まれる。 それらは、主を畏れる人にも 好ましくない。
(このまま)
※神は忌まわしい行いをすべてお嫌いになる。
神の掟にも、その意味が記されている。
神を畏れる人は、その守るべき掟は守らなくてはならない。
シラ15:14 主が初めに人間を造られたとき、 自分で判断する力をお与えになった。
(このまま)
※その都度のことにおいて、自分で判断して行動するのも大切である。
主の掟を守るとは、意識して、その行いを注意して進むことである。
シ ラ15:15 その意志さえあれば、お前は掟を守り、 しかも快く忠実にそれを行うこ とができる。
(このまま)
※その守るという意識を持ち、掟を守り、その守るべき掟を忠実に行うことが今後の 命運を決める。
シラ15:16 主は、お前の前に火と水を置かれた。 手を差し伸べて、欲しい方を取れ ばよい。
(このまま)
※示されている道は、申命記に記された二つの道である。
要するに、その掟を守り、主に示された主の道を行くか。
それを拒み、破滅を迎えるかである。
主を畏れる意味を知るので、前者を選ぶ意味になる。
シラ15:17 人間の前には、生と死が置かれている。 望んで選んだ道が、彼に与えら れる。
(このまま)
※破滅の道は、恐怖心をもたらす。
まさに人類が置かれている状況と似ているのである。
その言葉に従わねば、結局は崩壊を迎え滅ぶ。
その知恵の言葉を知り得て、生きる方向性を選ぶ人間になるか。
わたしも置かれた意味は、二つに一つである。
シラ15:18 主の知恵は豊かであり、 主の力は強く、すべてを見通される。
(このまま)
※神の知恵は豊かであり、その力は測り知れないくらい強く、この世のすべてを見通 しておられる。
シラ15:19 主は、御自分を畏れる人たちに目を注がれる。 人間の行いはすべて主に 知られている。
(このまま)
※神は、ご自分を畏れる者たちに目を注がれる。
人間の行いはすべて主に知られている。
シラ15:20 主は、不信仰であれとは、 だれにも命じたことはなく、 罪を犯すことを 、許されたこともなかった。
(このまま)
※主は、すべてにおいて不信仰であれとは、誰にも命じたわけではなく、
罪を犯すことを、許されたこともなかった。
罪を犯すことは、主に目に明らかなのである。
記されている事実ではこのままでは終末の時に滅ぶ。
24:20あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。
24:21その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
24:22もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。
マタイ福音書の言葉である。
私が、その意味を語りだしたのが2011年、震災が起きて、その意味を語ろうと思ったことである。
だがこのころは、雄牛の方をサタンと言っていた事実がある。
私の大いなる認識間違い。
このころに一人の者が言ってコメントがある。
そのコメント記載…
こんばんは
サタンは憎むべきものなんですかね
憐れむことはあれども、憎んではサタンと同じかも知れません。
サタンは元は天使です。
サタンは自分の中にもあります。
仏教で言えばダイバダッタを憎むか?受け入れるか?
と云うことではないでしょうか。
それに対する当時の私のコメント。
最初は、旧約聖書の悪魔のイメージもありました。
実際に、姿をあらわしてから、預言と病気の予告を伝えました。
確かに、それ以外は危害は加えておりません。
新約聖書には、全くイメージが違うサタンがいます。
この真相がはっきりするのは、これからの展開かもしれません。
そしてこういっています
しかし、ファティマの預言も考えると、憎むべきはサタンでしょう。
マリア様は、偽りを言わないと思います。
そしてそれに対する返答の言葉。
正も邪もない。
例えば、マリア様が正と言うモノをサタンは邪と言う。
サタンが正と言うものをマリア様は邪と言う。
実はどっちにも正邪はないのだと思います。
なかなか理解し難いですが。
今になればその意味がよく理解できます。
その返答。
送られた御使いは、中途半端な姿勢は通用しないのです。
迷いがあれば、翻弄されます。
これに対するもう一人のコメント。
(今考えると意味があると思います)
明確なるを好まないのは、対外的には好いでしょう。
私は、高慢で強欲で頑なだから、基本私は正しい、少なくとも、それは私には正しい。そういうスタンスですが、優柔不断を是とする人には嫌われ説諭されます。
ブレるのが、善や義とは思えません。神は人や周囲の目を気にしてブレるでしょうか?人間の私でさえ、確固たる基軸を是とするのですから。
※この当時は、その意味を何も知らず。
2013年からそのすべてを垣間見て、私の正体を最終的に知ることになるのですが、その信念が何であるかを神の言葉で悟れば、
記されている神の実際の降るこの世の実像。
その意味を語る故、そうなるのが当然ですがとても貧しい状況にあります。
箴言第30章。
30:7わたしは二つのことをあなたに求めます、
わたしの死なないうちに、これをかなえてください。
30:8うそ、偽りをわたしから遠ざけ、
貧しくもなく、また富みもせず、
ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。
30:9飽き足りて、あなたを知らないといい、
「主とはだれか」と言うことのないため、
また貧しくて盗みをし、
わたしの神の名を汚すことのないためです。
状況はその言葉を語るがゆえに、運命的に無職です。
長い間です。
そんなことよりも、それの運命を受け入れたのには訳があります。
31:9彼らは泣き悲しんで帰ってくる。
わたしは慰めながら彼らを導き帰る。
彼らがつまずかないように、まっすぐな道により、
水の流れのそばを通らせる。
それは、わたしがイスラエルの父であり、
エフライムはわたしの長子だからである。
31:10万国の民よ、あなたがたは主の言葉を聞き、
これを遠い、海沿いの地に示して言いなさい、
『イスラエルを散らした者がこれを集められる。
牧者がその群れを守るようにこれを守られる』と。
31:11すなわち主はヤコブをあがない、
彼らよりも強い者の手から彼を救いだされた。
そしてこうあります。
31:16主はこう仰せられる、
「あなたは泣く声をとどめ、
目から涙をながすことをやめよ。
あなたのわざに報いがある。
彼らは敵の地から帰ってくると主は言われる。
31:17あなたの将来には希望があり、
あなたの子供たちは自分の国に帰ってくると
主は言われる。
※真剣勝負なのです。
31:36主は言われる、
「もしこの定めがわたしの前ですたれてしまうなら、
イスラエルの子孫もすたって、
永久にわたしの前で民であることはできない」。
31:37主はこう言われる、
「もし上の天を量ることができ、
下の地の基を探ることができるなら、
そのとき、わたしはイスラエルのすべての子孫を
そのもろもろの行いのために捨て去ると
主は言われる」。
※はっきり断言しますが、今の世の中の人々のやっていることは何ですか。
見るからに神から離れて、悪行三昧、それでもヘブル人の手紙には不義を神が哀れむとあります。
滅ぼされることを好みますか、人は滅ぼされるためにこの世に作られたのではありません。
すべてを語る。
私は15歳の時に、最高神に出会い、時が経て30年がその時より経過してその意味を語
何も知らずに2015年にその言葉を垣間見た私はその意味が本当だったことを実感する
主に時が来るまで誰にも、その意味を語ることを固く禁じられ、私はその試練の数々
シ ラ1:11 主を畏れることは、誉れと誇り、 幸せと喜びの冠である。
シ ラ1:12 主を畏れることは、心を楽しませ、 喜びと、幸福と、長寿をもたらす。
シ ラ1:13 主を畏れる人は、幸せな晩年を送り、 臨終の日にも、主から祝福を受け
シ ラ1:14 主を畏れることは、知恵の初めである。 知恵は、主を信じる人たちに 母
シ ラ1:22 不当な憤りには、弁解の余地がなく、 理不尽な憤りは、身の破滅を招く
シラ1:23 辛抱強い人は、時が来るまで耐え忍ぶ。 耐え忍んだ後には、気分が晴れて
シ ラ1:24 彼は語るべき時が来るまで、口を慎む。 そうすると多くの人々は、 彼の
シラ1:25 知恵の倉には、知識に満ちた箴言がある。 しかし罪人は、敬神の心を忌み
シラ1:26 知恵を熱望するならば、 主の掟を守り通すがよい。 主は知恵を豊かに与
※私は主の掟(神の律法)の厳守する意味を学び,その掟を実践してその効果を体感
地元の健康センターに行くようなり、その驚くべき効果を実際にこの体で体感してい
要するにデータがあるのである。
聖書にはこうある。
60:12あなたに仕えない国と民とは滅び、
その国々は全く荒れすたれる。
60:13レバノンの栄えはあなたに来、
いとすぎ、すずかけ、まつは皆共に来て、
わが聖所をかざる。
またわたしはわが足をおく所を尊くする。
60:14あなたを苦しめた者の子らは、
かがんで、あなたのもとに来、
あなたをさげすんだ者は、
ことごとくあなたの足もとに伏し、
あなたを主の都、
イスラエルの聖者のシオンととなえる。
60:15あなたは捨てられ、憎まれて、
その中を過ぎる者もなかったが、
わたしはあなたを、とこしえの誇、
世々の喜びとする。
私はかつて、雄牛の聖霊の姿をこの目で見た。
15歳の時である、当時私はその意味を恐れ、その神から語られた言葉、その苦しみに
だが苦しみのあまり、不覚にもその時が来る一年前に語り、父が亡くなり震災を迎え
詩編39章
39:1わたしは言った、「舌をもって罪を犯さないために、
わたしの道を慎み、
悪しき者のわたしの前にある間は
わたしの口にくつわをかけよう」と。
39:2わたしは黙して物言わず、むなしく沈黙を守った。
しかし、わたしの悩みはさらにひどくなり、
39:3わたしの心はわたしのうちに熱し、
思いつづけるほどに火が燃えたので、
わたしは舌をもって語った。
39:4「主よ、わが終りと、
わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、
わが命のいかにはかないかを知らせてください。
39:5見よ、あなたはわたしの日をつかのまとされました。
わたしの一生はあなたの前では無にひとしいのです。
まことに、すべての人はその盛んな時でも
息にすぎません。〔セラ
39:6まことに人は影のように、さまよいます。
まことに彼らはむなしい事のために
騒ぎまわるのです。
彼は積みたくわえるけれども、
だれがそれを収めるかを知りません。
39:7主よ、今わたしは何を待ち望みましょう。
わたしの望みはあなたにあります。
39:8わたしをすべてのとがから助け出し、
愚かな者にわたしをあざけらせないでください。
39:9わたしは黙して口を開きません。
あなたがそれをなされたからです。
※そのすべては神なる方がそれをなされたとある事実、神が下された私への命令だっ
39:10あなたが下された災を
わたしから取り去ってください。
わたしはあなたのみ手に打ち懲らされることにより
滅びるばかりです。
※当時、心臓の難病に苦しめられていた私は、神に問い、その命がいつまでなのか、
胸の痛みと苦しみが毎日のように、私を不安に陥れ、私はその苦しみを耐えているだ
39:11あなたは罪を責めて人を懲らされるとき、
その慕い喜ぶものを、しみが食うように、
消し滅ぼされるのです。
まことにすべての人は息にすぎません。〔セラ
39:12主よ、わたしの祈を聞き、
わたしの叫びに耳を傾け、
わたしの涙を見て、もださないでください。
わたしはあなたに身を寄せる旅びと、
わがすべての先祖たちのように寄留者です。
39:13わたしが去って、うせない前に、
み顔をそむけて、わたしを喜ばせてください」。
※主はやがて、神の契約者として真剣に言葉を語り、その意味を遂行した私に喜びを
エレミア書第30章より
30:6子を産む男があるか、尋ねてみよ。
どうして男がみな子を産む女のように
手を腰におくのをわたしは見るのか。
なぜ、どの人の顔色も青く変っているのか。
30:7悲しいかな、その日は大いなる日であって、
それに比べるべき日はない。
それはヤコブの悩みの時である。
しかし彼はそれから救い出される。
30:10主は仰せられる、
わがしもべヤコブよ、恐れることはない、
イスラエルよ、驚くことはない。
見よ、わたしがあなたを救って、遠くからかえし、
あなたの子孫を救って、
その捕え移された地からかえすからだ。
ヤコブは帰ってきて、穏やかに安らかにおり、
彼を恐れさせる者はない。
30:11主は言われる、
わたしはあなたと共にいて、あなたを救う。
わたしはあなたを散らした国々を
ことごとく滅ぼし尽す。
しかし、あなたを滅ぼし尽すことはしない。
わたしは正しい道に従ってあなたを懲らしめる。
決して罰しないではおかない。
※2011年、その意味を悟りその言葉を神間みることになる私は、2013年にイエスキリ
イエスキリストの咎とは、律法を批判して歩き回った事実。
要するに神への反逆者だったことである。
30:12主はこう仰せられる、
あなたの痛みはいえず、あなたの傷は重い。
30:13あなたの訴えを支持する者はなく、
あなたの傷をつつむ薬はなく、
あなたをいやすものもない。
30:14あなたの愛する者は皆あなたを忘れて
あなたの事を心に留めない。
それは、あなたのとがが多く、
あなたの罪がはなはだしいので、
わたしがあだを撃つようにあなたを撃ち、
残忍な敵のように懲らしたからだ。
30:15なぜ、あなたの傷のために叫ぶのか、
あなたの悩みはいえることはない。
あなたのとがが多く、
あなたの罪がはなはだしいので、
これらの事をわたしはあなたにしたのである。
30:16しかし、すべてあなたを食い滅ぼす者は
食い滅ぼされ、
あなたをしえたげる者は、
ひとり残らず、捕え移され、
あなたをかすめる者は、かすめられ、
すべてあなたの物を奪う者は奪われる者となる。
30:17主は言われる、
わたしはあなたの健康を回復させ、
あなたの傷をいやす。
それは、人があなたを捨てられた者とよび、
『だれも心に留めないシオン』というからである。
30:18主はこう仰せられる、
見よ、わたしはヤコブの天幕を再び栄えさせ、
そのすまいにあわれみを施す。
町は、その丘に建てなおされ、
宮殿はもと立っていた所に立つ。
30:19感謝の歌と喜ぶ者の声とが、その中から出る。
わたしが彼らを増すゆえ、彼らは少なくはなく、
また彼らを尊ばれしめるゆえ、
卑しめられることはない。
30:20その子らは、いにしえのようになり、
その会衆はわたしの前に堅く立つ。
すべて彼らをしえたげる者をわたしは罰する。
30:21その君は彼ら自身のうちのひとりであり、
そのつかさは、そのうちから出る。
わたしは彼をわたしに近づけ、彼はわたしに近づく。
だれか自分の命をかけて
わたしに近づく者があろうかと
主は言われる。
30:22あなたがたは、わたしの民となり、
わたしはあなたがたの神となる」。
イザヤ書48章
※正直、これを読んだときは困惑し、その意味に驚愕の念を抱く。
48:3「わたしはさきに成った事を、いにしえから告げた。
わたしは口から出して彼らに知らせた。
わたしは、にわかにこの事を行い、そして成った。
48:4わたしはあなたが、かたくなで、その首は鉄の筋、
その額は青銅であることを知るゆえに、
48:5いにしえから、かの事をあなたに告げ、
その成らないさきに、これをあなたに聞かせた。
そうでなければ、あなたは言うだろう、
『わが偶像がこれをしたのだ、
わが刻んだ像と、鋳た像がこれを命じたのだ』と。
48:6あなたはすでに聞いた、
すべてこれが成ったことを見よ。
あなたがたはこれを宣べ伝えないのか。
わたしは今から新しい事、
あなたがまだ知らない隠れた事を
あなたに聞かせよう。
※隠れたこととある。
要するに時が来るまでその意味を知らずにいた。
48:7これらの事はいま創造されたので、
いにしえからあったのではない。
この日以前には、あなたはこれを聞かなかった。
そうでなければ、あなたは言うだろう、
『見よ、わたしはこれを知っていた』と。
48:8あなたはこれを聞くこともなく、知ることもなく、
あなたの耳は、いにしえから開かれなかった。
わたしはあなたが全く不信実で、
生れながら反逆者ととなえられたことを
知っていたからである。
※イエスキリストの時も、二度目にきてその意味を悟る前、私は神に対する反逆者だ
神の聖霊に出会った事実の意味を考えることもせず、いたずらに、記されている通り
48:9わが名のために、わたしは怒りをおそくする。
わが誉のために、わたしはこれをおさえて、
あなたを断ち滅ぼすことをしない。
48:10見よ、わたしはあなたを練った。
しかし銀のようにではなくて、
苦しみの炉をもってあなたを試みた。
※そして私はその苦しみを与えられ、その心がいかにあるか試みられたのである。
神に対する信仰心、これがいかにあるか試されたのである。
48:11わたしは自分のために、自分のためにこれを行う。
どうしてわが名を汚させることができよう。
わたしはわが栄光を
ほかの者に与えることをしない。
48:12ヤコブよ、わたしの召したイスラエルよ、
わたしに聞け。
わたしはそれだ、わたしは初めであり、
わたしはまた終りである。
48:13わが手は地の基をすえ、
わが右の手は天をのべた。
わたしが呼ぶと、彼らはもろともに立つ。
48:14あなたがたは皆集まって聞け。
彼らのうち、だれがこれらの事を告げたか。
主の愛せられる彼は
主のみこころをバビロンに行い、
その腕はカルデヤびとの上に臨む。
48:15語ったのは、ただわたしであって、
わたしは彼を召した。
わたしは彼をこさせた。
彼はその道に栄える。
48:16あなたがたはわたしに近寄って、これを聞け。
わたしは初めから、ひそかに語らなかった。
それが成った時から、わたしはそこにいたのだ」。
いま主なる神は、わたしとその霊とをつかわされた。
48:17あなたのあがない主、イスラエルの聖者、
主はこう言われる、
「わたしはあなたの神、主である。
わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、
あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。
48:18どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。
そうすれば、あなたの平安は川のように、
あなたの義は海の波のようになり、
48:19あなたのすえは砂のように、
あなたの子孫は砂粒のようになって、
その名はわが前から断たれることなく、滅ぼされることはない」。
※その示されている行くべき道に行かせるとある。
これが神の命じられる私への「主の道」である。
そのすべての意味は、記されている通り、信じる者には救済の意味である。
義とは何か、善とは何か、神の喜ばれる人が歩むべき道だからだ。
私はかつて、侮った者やさげすんだ者を許し、彼らを証人として生かす。
イザヤ書60章の通りにするのが一番なのだ。
60:1起きよ、光を放て。
あなたの光が臨み、
主の栄光があなたの上にのぼったから。
60:2見よ、暗きは地をおおい、
やみはもろもろの民をおおう。
しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、
主の栄光があなたの上にあらわれる。
60:3もろもろの国は、あなたの光に来、
もろもろの王は、のぼるあなたの輝きに来る。
60:4あなたの目をあげて見まわせ、
彼らはみな集まってあなたに来る。
あなたの子らは遠くから来、
あなたの娘らは、かいなにいだかれて来る。
60:5その時あなたは見て、喜びに輝き、
あなたの心はどよめき、かつ喜ぶ。
海の富が移ってあなたに来、
もろもろの国の宝が、あなたに来るからである。
60:6多くのらくだ、ミデアンおよびエパの若きらくだは
あなたをおおい、
シバの人々はみな黄金、乳香を携えてきて、
主の誉を宣べ伝える。
60:7ケダルの羊の群れはみなあなたに集まって来、
ネバヨテの雄羊はあなたに仕え、
わが祭壇の上にのぼって受けいれられる。
こうして、わたしはわが栄光の家を輝かす。
60:8雲のように飛び、
はとがその小屋に
飛び帰るようにして来る者はだれか。
60:9海沿いの国々はわたしを待ち望み、
タルシシの船はいや先に
あなたの子らを遠くから載せて来、
また彼らの金銀を共に載せて来て、
あなたの神、主の名にささげ、
イスラエルの聖者にささげる。
主があなたを輝かされたからである。
60:10異邦人はあなたの城壁を築き、
彼らの王たちはあなたに仕える。
わたしは怒りをもってあなたを打ったけれども、
また恵みをもってあなたをあわれんだからである。
60:11あなたの門は常に開いて、
昼も夜も閉ざすことはない。
これは人々が国々の宝をあなたに携えて来、
その王たちを率いて来るためである。
60:12あなたに仕えない国と民とは滅び、
その国々は全く荒れすたれる。
60:13レバノンの栄えはあなたに来、
いとすぎ、すずかけ、まつは皆共に来て、
わが聖所をかざる。
またわたしはわが足をおく所を尊くする。
60:14あなたを苦しめた者の子らは、
かがんで、あなたのもとに来、
あなたをさげすんだ者は、
ことごとくあなたの足もとに伏し、
あなたを主の都、
イスラエルの聖者のシオンととなえる。
60:15あなたは捨てられ、憎まれて、
その中を過ぎる者もなかったが、
わたしはあなたを、とこしえの誇、
世々の喜びとする。
60:16あなたはまた、もろもろの国の乳を吸い、
王たちの乳ぶさを吸い、
そして主なるわたしが、あなたの救主、
また、あなたのあがない主、
ヤコブの全能者であることを知るにいたる。
60:17わたしは青銅の代りに黄金を携え、
くろがねの代りにしろがねを携え、
木の代りに青銅を、石の代りに鉄を携えてきて、
あなたのまつりごとを平和にし、
あなたのつかさびとを正しくする。
60:18暴虐は、もはやあなたの地に聞かれず、
荒廃と滅亡は、もはやあなたの境のうちに聞かれず、
あなたはその城壁を「救」ととなえ、
その門を「誉」ととなえる。
60:19昼は、もはや太陽があなたの光とならず、
夜も月が輝いてあなたを照さず、
主はとこしえにあなたの光となり、
あなたの神はあなたの栄えとなられる。
60:20あなたの太陽は再び没せず、
あなたの月はかけることがない。
主がとこしえにあなたの光となり、
あなたの悲しみの日が終るからである。
60:21あなたの民はことごとく正しい者となって、
とこしえに地を所有する。
彼らはわたしの植えた若枝、わが手のわざ、
わが栄光をあらわすものとなる。
60:22その最も小さい者は氏族となり、
その最も弱い者は強い国となる。
わたしは主である。
その時がくるならば、すみやかにこの事をなす。
※主は私の苦しんでいた病を取り去り、その喜びを与えられた。高ぶらず、己の正体
今年の12月25日に私の本来の名をかたるときが来る。
いまはかいひろしで活動している。
心から語る神の定めた道に生きる法則。
起きるべき最後のさばきの検証
22:7苦難のうちにわたしは主を呼び、
またわが神に呼ばわった。
主がその宮からわたしの声を聞かれて、
わたしの叫びはその耳にとどいた。
22:8その時地は震いうごき、
天の基はゆるぎふるえた。
彼が怒られたからである。
22:9煙はその鼻からたち上り、
火はその口から出て焼きつくし、
白熱の炭は彼から燃え出た。
(サムエル記下)
24:17地に住む者よ、
恐れと、落し穴と、わなとはあなたの上にある。
24:18恐れの声をのがれる者は落し穴に陥り、
落し穴から出る者はわなに捕えられる。
天の窓は開け、地の基が震い動くからである。
24:19地は全く砕け、
地は裂け、
地は激しく震い、
24:20地は酔いどれのようによろめき、
仮小屋のようにゆり動く。
そのとがはその上に重く、
ついに倒れて再び起きあがることはない。
(イザヤ書24章)
※サムエルとイザヤは12人の預言者に該当し、その言葉は確実にその来るべき意味を予言しているのは確実である。
ほかのポールシフトの記述も見てみよう。
13:12わたしは人を精金よりも、
オフルのこがねよりも少なくする。
13:13それゆえ、万軍の主の憤りにより、
その激しい怒りの日に、
天は震い、地は揺り動いて、その所をはなれる。
13:14彼らは追われた、かもしかのように、
あるいは集める者のない羊のようになって、
おのおの自分の民に帰り、
自分の国に逃げて行く。
(イザヤ書13章)
※イザヤ書第13章は、その組織的国家形態の滅びの預言。
ざわつく欧州から始まる、これ完全型である。
●完全型
これの13章の残すところも、ポールシフトの出来事が保留されている状態。
要するに猶予の中に置かれている。
実際にその時が来れば、確実にその脅威にさらされると思われる。
かごめかごめの歌詞
かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が滑った
後ろの正面だあれ
これを完全解読型にしるすと。
六芒星、六芒星
籠に飼われたトリを務める者は、
いつになって出てくる
暗闇が一気に光り輝く夜に
(ペテルギウスの爆発により地球が初めて体験する現象)
北極と南極が滑って動いた
右手の側に並ぶ者は正面に立たされ、
左手側に立つ者は後ろを立たされて(そっぽを向いた意味)
最後に生き残ってる者も、信仰するものと不信仰なる者では境遇が異なる。
22:41あなたによって、敵は
そのうしろをわたしに向けたので、
わたしを憎む者をわたしは滅ぼした。
22:42彼らは見まわしたが、救う者はいなかった。
彼らは主に叫んだが、彼らには答えられなかった。
22:43わたしは彼らを地のちりのように
細かに打ちくだき、
ちまたのどろのように、踏みにじった。
※要するに後ろを向けた者は私の怒りにおいて滅びることになる。
12:25あなたがたは、語っておられるかたを拒むことがないように、注意しなさい。もし地上で御旨を告げた者を拒んだ人々が、罰をのがれることができなかったなら、天から告げ示すかたを退けるわたしたちは、なおさらそうなるのではないか。
12:26あの時には、御声が地を震わせた。しかし今は、約束して言われた、「わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも震わそう」。
12:27この「もう一度」という言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示している。
12:28このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。
12:29わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。
今日の意味深なおみくじに乗った言霊
はなされし籠の小鳥の
とりどりにたのしみ多き
春ののべかな
籠の中にいた小鳥が放されて
自由に飛び歩く様に
苦しみを逃れて
楽しみの多い身となる運です。
世のため人のために尽くしなさい
幸い増して名も上がります
正直言って今回の言霊、その見解の正しさをうかがい知ることができます。
籠の中の鳥は、その苦労を背負った意味から解放され、
次のステップに行くことを意味します。
私が懸念しているのは、預言書にある地軸の激動です。
その言葉でイエスキリストも言われているのですが、
7:24それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
7:25雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
7:26また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
7:27雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。
※私、その意味をこの目で何回も確認してきていますが、イエスの言われている意味は現状で確実だと思います。
実際に私が言っているのは、神の掟の厳守です。
これを行っている者は、災いをかわして生き延びることになります。
またこの言葉に従わないで、反逆したとしても、その運命は記されている通りです。
そう思うのです。
最終的な出来事が来るときに、それの脅威を免れることができるのは従う者だけであると思います。
記されている苦しみの中の悟り。
記されている苦しみの中の悟り
苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。
(詩編119章)
悩みと苦しみがわたしに臨みました。しかしあなたの戒めはわたしの喜びです。
(同)
心の苦しみは心みずからが知る、その喜びには他人はあずからない。
(箴言14章)
見よ、わたしはあなたを練った。しかし銀のようにではなくて、苦しみの炉をもってあなたを試みた。
(イザヤ書48章)
ああ、わがはらわたよ、わがはらわたよ、わたしは苦しみにもだえる。ああ、わが心臓の壁よ、わたしの心臓は、はげしく鼓動する。わたしは沈黙を守ることができない、ラッパの声と、戦いの叫びを聞くからである。
(エレミア書第4章)
どうか、わが悩みと苦しみ、にがよもぎと胆汁とを心に留めてください。
(哀歌第3章)
※にがよもぎと胆汁とある。
イエスの受けた十字架の真の意味か。
それを心に留めろというのである。
そのためにまた、わたしはこのような苦しみを受けているが、それを恥としない。なぜなら、わたしは自分の信じてきたかたを知っており、またそのかたは、わたしにゆだねられているものを、かの日に至るまで守って下さることができると、確信しているからである。
(テモテ第二の手紙第1章)
もしだれかが、不当な苦しみを受けても、神を仰いでその苦痛を耐え忍ぶなら、それはよみせられることである。
(ペテロ第一の手紙)
※よみせられる=ほめられる。
悪いことをして打ちたたかれ、それを忍んだとしても、なんの手柄になるのか。しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。
(ペテロ第一の手紙)
追記
3:10わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。
3:11わたしは食い滅ぼす者を、あなたがたのためにおさえて、あなたがたの地の産物を、滅ぼさないようにしよう。また、あなたがたのぶどうの木が、その熟する前に、その実を畑に落すことのないようにしようと、万軍の主は言われる。
3:12こうして万国の人は、あなたがたを祝福された者ととなえるであろう。あなたがたは楽しい地となるからであると、万軍の主は言われる。
※極意を知る…間違いなくその善行、神の約束される復活となるのだろう。
6:40わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう」。
風にのったレシピ
(第一話 再開一)
お土産屋の横を通り、駅の改札を急いで通り抜けると下に降りてゆくエスカレーターを見渡した。今日は、たった一人の弟のひかりと会うため、新幹線のホームに降りてきたのだ。
それから新幹線が、仙台の駅に到着すると、女はその車両から降りてくる乗客をくまなく見渡していた。やがて、彼女の弟は、新幹線の車両から、乗客が減るのを待つようにゆっくりと降りてくる。そして、懐かしそうに姉に声をかけた。
「やあ、姉ちゃん、久しぶりだね!」
「元気だった!」
弟のひかりが、その女の故郷の札幌から、三年ぶりに会いにきた。
「久しぶりね、ひかり」
その女は弟の格好をみて、一言つぶやいた。
「しかし、どん臭くない!」
姉は、弟のおしゃれなどに興味のない身なりを見て、いかにもその弟のセンスの無さを指摘した。
弟の格好は、汚れが目立つような少しよれたジーパンに、Tシャツを着こんで来た。その格好は、田舎から出てきた青年そのものであったのである。
「いいじゃねえかよ、服装なんか気にしないし!」
「それに暑いし…」
「まったく」
一呼吸おいて姉は意味深につぶやいた。
お洒落に興味がない弟に対して、この物語の主人公である「望月あやめ」は、灰色の生地にエスニック的な刺繍が施されたエンブロイダリーチュニックを着て、脚をきれいに見せる白いパンツを履き、腰にはきれいなベルトを巻いていた。
肩には仕事柄か、おしゃれな手提げバックが下げられていた。
「姉ちゃん、いつ見てもセンスいいし、お洒落だよね!」
「まあな!」
「お洒落には、人一倍、仕事柄もあり気を使っているからね」
そんな彼女は数年前、調理師学校を主席で卒業してから一流のフレンチに就職し、それから何年も、実家である札幌には帰省していないのが実際のことであった。
その想いが、頭を過ぎったのか、ひかりに向かってその口を開いた。
「ねえ、お父さんは元気なの?」
あやめは、父の近況をひかりに尋ねている。主人公であるあやめは、フレンチの仕事に夢中になり、その修業で腕を上げ、あやめ自身の腕を試すために仙台に縁があり、この街にやってきていた。
そんななか、父が母親と離婚してから、生活も荒れているので気になっていたのは無理もないと言える。
「親父か、この頃は元気ないな」
姉の父の近況を尋ねる言葉に、ひかりが意味ありげに空を見上げながら呟いた。
ひかりの表情はなんとなく口元が揺れていた。その状況をあやめは読み取り、言い放った。
「あんた、何か隠してない!」
弟の仕草には、口元の動きに特徴があるので、なおかつ空を見上げている時は、隠し事があるのを、あやめは姉としてその様子を見逃すことはなかった。
「気になるんだけどさ、病院に行っているみたいだよ」
「どこか、悪いのかは知らないよ!」
「親父、黙りこくって言わねえしよ!」
その話を聞いた、あやめはひかりの手を引いて、急いで仙台の駅のホームを飛び出して行き、お土産屋の前を猛スピードで歩きだした。
その足取りは、かなり急いでいる様子であった。
「痛いよ。姉貴!」
我に返るとあやめはひかりの手を離した。
「とりあえず、駅から出て、おいしい御飯(ランチ)でも食べようか!」
あやめは、今日は仕事の休みの日である。久しぶりの再会は、仙台のお昼時間と重なっていて、人ごみの中に二人は消えてゆく。
つづく。
テモテへの第二の手紙より「そしる者」これは、心臓が焼かれる。
3:1しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る。
3:2その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、
3:3無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、
3:4裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、
3:5信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。
※その言葉で「そしる者」は言うが、滅びの対象であること。
人を中傷することは何であれ、その言葉に心臓が焼かれるとある。